亡き父が撮った8ミリ

私が子どもの頃、連帯保証人となった父が被った莫大な借金のために、我が家は極貧生活を強いられた。が、幸いにも高度経済成長の波に乗り、次第に普通の家庭と同じような生活を送ることが出来るようになった。

気が付くと、父は写真や動画撮影をよくやっていた。写真撮影は一眼レフではなく、専らハーフサイズカメラだった。テレビでフジカシングル8のコマーシャルが流れると、父は8ミリカメラを買い、入学式の朝の姿や父が同業者と行ったハワイ旅行やらを撮っていた様だ。

現像して、出来上がったフィルムを映写機に取り付け、スクリーンに映し出される映像は、どんな名作の映画よりも、心を躍らせるものだった。

今や、デジタルカメラにスマホと、簡単に動画撮影が出来、撮ったその場で観ることも出来る時代となった。バッテリーとメモリーさえ余裕があれば、長時間の撮影も内容によっては何度でも撮り直しが可能だ。

それに比べ、高価だった8ミリフィルの頃は、僅かな時間の撮影にも勇気が要ったろう。

亡き父が撮ったビデオテープが見たい(8ミリ・コダクロームの思い出)』に登場する映像は、ほんの僅かな時間で、色褪せ、音声も無い。しかし、それは、「記録」とか「映像」とか「動画」とかいうよりも「思い出」そのものに感じ、どんな高価な宝石よりも輝いて見えた。

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